4:いろいろ編
前穂高岳と月
1:若き日の話
いつも近所の友人二人と山に出かけていた。テントなんて高価で買えないからいつもレンタルであった。
それも布製だから、今思えば結構重かったはずだ。また、山行自体も滅茶苦茶だった。海苔の入っていた
プラスチック製の大きな直方体の入れ物に水をたっぷり入れ、丸いアルミ製のふたをしてからガムテープで
それをとめてリュックに入れて担ぐ。これで奥多摩は日原の稲村岩横のきつい登山道を登った事がある。
途中、リュックから水が漏れているのを発見。開けてみればふたがとれてリュックの底は洪水になっていた。
八王子の奥にある今熊山で新年の御来光を仰ごうなどというときは、麓の神社で鍋に水を入れ、こぼれな
いように蓋を押さえながら山頂まで登り、上で雑煮をつくって食べたものだ。帰りは畳ヶ原(今は大きな変電
所になってしまった)で寝転がってひなたぼっこして行く。なつかしい時代である。
沢登りも高校生ぐらいの時は身が軽いので楽だった。ロープ一本だけ持って行ってあちこち登った。奥多
摩だけでなく、妙義山の方にも足を伸ばしたことがあった。つるつるの樋状の滝を手足を巧みに使って登っ
た事を覚えている。
二十歳を過ぎると友人の車を利用して遠出をするようになる。しかし、これも無茶苦茶。たとえば、夜、八王
子を出発。朝、御池に到着。バスで沼山峠へ行きそこから尾瀬沼へ。尾瀬沼から燧ヶ岳を往復。御池に戻っ
て今度は銀山湖方面へ。トンネルの入り口を見逃したので、それこそ何回か山越えをしてやっと小出に到着。
関越道を通って東松山へ。八王子には夜遅く到着といった具合。
いろいろ懲りたこともある。槍ヶ岳に登る時、友人が新品の登山靴を履いていた。登るときから痛い痛いと
言っていたが、翌日下山するときには足の皮がむけて、もう靴の中は血だらけの状態。肩を貸して下山する
ようだった。高い山に登るときは履き慣れた靴にするものだ。旅行中にちょっと山登りなんてこともあった。
北海道の摩周湖の近くの硫黄山に、観光地とは反対の側から登った時の事である。途中、ガスが漂ってい
て何か息苦しく、危険な感じがしたので引き返そうとしたところ、ちょうど野天風呂を発見。一人だったので
スパッと裸になって湯に浸る。V字形の谷の向こうには緑の大地が広がるすばらしい眺めだ。とそのとき、
なんと蜂の集団がなぜかやってきた。思わず湯の中に身を縮めるが、背中には熱い湯がブクブクとやって
くる。もう我慢できないと、湯から飛び出し、あわてて衣服を掴んで裸のまま50M位走って逃げた。もし、
他に登山者がいたら山岳ストリーキングに目をまわしたことだろう。ちなみに、摩周湖で泳がれる方、防虫
スプレーをお忘れ無く。着替える間にブヨに刺されるぞ。
就職して、ある程度の金が手にはいると今度は海外だ。ヨーロッパ、ネパール、中国、・・・。中国の黄山
は御来光を仰ごうとする人たちが大勢訪れる。その人達向けに登山用の杖を売っているが、なんと手で握
る部分にライトがついている。こりゃ、薄暗い山道を歩くのに便利だと思った。
だんだん歳をとってきて、若い頃のようには足が運べなくなってきたが、それでも山登りは続けようと思
う。
2:登山事始めの話
中学一年生の時、母方のおじさんに奥多摩へ連れて行かれたのが初めてだった。氷川駅(現在の奥多
摩駅)から大岳山、御嶽山を通って御獄駅まで歩く。そのとき登り口の愛宕神社で撮った写真を見ると、夏
の制服姿である。小学生の頃、校舎の二階から西方を見るとキューピー山が見えた。キューピーの人形が
仰向けに寝ている様に見えるのでそう名前が付いた。顔の部分が大岳山、腹の部分が御前山である。
とにかくこのキューピー山に登れるということが一番の楽しみであった。途中、大岳山の手前で雷が鳴った。
大岳山の頂上では雨が降り出す有様。このとき、シャツを脱いで丸めて持って走ることになった。大岳小屋
に何とか逃げ込んで雷雨が過ぎるのを待った。この後のことは覚えていないが、これが山登り事始めという
ことになろう。
3:沢登りの話
夏は沢登りが快適だ。シャワークライミング、スイミングのときもある。私はワラジではなく、フェルト底の靴
を利用しているが、これが滑らなくてなかなかよい。ハーネスなどを利用するときは、ザイルの結び方、カラ
ビナの使い方、確保の仕方等をしっかりマスターしておかないと危険である。滝壺が深く、流れが緩やかな
所では、もし、滝を登るのがつらくなった時は、そのまま滝壺へ「あばよー」と言って飛び込む。もう一度出直
しだ。なまじっか、滝にへばりついていると指や爪を痛めたりする。当然のことながら、リュックの中の荷物は
ビニール袋に入れてあるから大丈夫。釣りをするのもいいかも。
さて、ちょっと困ったこともおきる。ヘビがいるときがあるのだ。それも最後の一登りというときに!追い払うに
も一苦労。木の枝でも手に入ればいいがそうはいかない。足は疲れてガクガクしてくる。最悪といった感じ。
でもやめられません。
4:白毛門の話・・・小屋の周りは?
谷川岳の好展望が得られる白毛門は登りがきついことで知られる。私も途中で足がつったときには本当
に苦労した。しかし、秋の白毛門は素晴らしい紅葉が見物だ。谷川岳も一の倉沢をはじめとして雄大な山容
を目の当たりにすることができる。さて、ここから笠ヶ岳へ行った。霧が深くなってきた。かまぼこ形の鋼板製
の小屋に潜り込む。もう夕方なので、このまま泊まることにする。翌朝、用足しに小屋の裏手にまわってみる
と、それはもう大変。あちこちに用を足した跡があって、自分の場所を見つけるのに一苦労。みんな苦労した
ろうなと思う。山ではトイレは大問題だ。標高が高く気温が低かったりすると微生物の活動が衰えて汚物の
分解が出来ない。誰かうまい方法を開拓して特許でもとらないものか。
5:鹿と猿の話・・・相手は手強いぞ
奥多摩は蕎麦粒山を目指して、軽くランニング気味で登山道を進んで行った。道が右に急カーブしていた。
突然、そこで鹿と出会ってしまったのだ。相手は私と反対方向、つまりこちらに向かって進んできたのだ。
お互いに急ブレーキ!ちょっと間があったろうか。互いに見つめ合った。鹿の頭には大きなとがった角がある。
毛並みも動物園にいるやつとは違ってつやつやしていて美しい。そして直ぐ、鹿は向きを変えて、反対方向へ
走り去って行った。よかった。私(妻は私のことを熊さんみたいだと日頃言っている)の勝ち(?)である。丹沢
あたりだと人慣れしていて危険な鹿がいる。人間を恐れないから、逆に角で攻撃して来るときがあるので用心
しよう。さて、奥多摩も一番奥の一ノ瀬に通じる林道を歩いていたときの事である。左の山の斜面からガサガ
サッと何かが転がり落ちてきたような感じであった。落石かなと思って一瞬足を止める。よく見ればこれがなん
と大きな猿であった。こいつも動物園のとは違って、毛並みはつやつや、面構えも百戦錬磨と言う感じ。ド迫力
である。これはかなわないとみて、私の方が来た道を戻ることにした。幸い猿は追って来なかったが、何かアッ
カンベーをされたような気がしてちょっと悔しかった。その後、また戻ったときには猿の姿はなかった。生身の人
間なんて弱いものよ。
6:混 浴
子供達を有名な白馬鑓温泉へ連れて行ったときのこと。日本でも有数の高所にある温泉ということで、大きな
野天風呂の浴槽がデーンとある。お湯は白く濁っているから混浴しやすい(?)のか、おばちゃん達が大勢入っ
ている。よーし入ってしまえということで我々も湯に浸かる。まあ、入ってしまえば混浴も気にならないものよ。
で、疲れていたのでそのまま夕食後、テントで寝込んでしまった。翌朝、子供達から聞くと、あのあと夜になって
もう一度野天風呂に入ったが、大学の山岳部の若いおねーさんが何人もいたとのこと。残念!?
南アルプスの懐にある奈良田温泉も旅館によっては混浴の時がある。風呂に入ろうと思って廊下を歩いて行
く。御婦人用と書かれた風呂を通り越し、大風呂に着く。服を脱いで風呂場に入ると女性が数人いる。あれ間違
えたと思って直ぐ飛び出し、服を着てもう一度、さっきの御婦人用風呂を確かめに行く。ウーム、確かに御婦人用
と書かれている。殿方用はない。ということはやっぱりさっきの大風呂に入れということなのだと思い直し、覚悟を
決めて行く。湯船ではじーっと外を見ている他はない。
田舎の温泉などでは男女入り口は別々だが、中は同じ風呂ということが多くある。浴槽が別々であっても、ドア
で互いに行き来できたり、水面下に大きな穴が開いていたり、壁の端の方でつながっていたりすることもある。
まあ、日本では風呂は社交場だからしょうがないのかな。
ニュージーランドで温泉に入ったときは、男女とも水着であった。一番熱い区画には東洋系の人達が、ぬるい
区画には西洋系の人達が入っていた。まあ、熱いといっても日本人にはぬるいくらいかもしれないが。
日本の温泉でも大きな野天風呂では水着を着るということを許してもらえないかな。